NHK制作の「100分で名著」で老子が取り上げられていた。若いころに一度読んだ事がある気がするが、改めて解りやすい解説でその概要が理解できた気がする。
孔子についてはメジャーで、誰もが論語や儒教と言う言葉やその意味をなんとなく知っていて、とても真面目で良い事を言っていて、この人の言うことにはみんな逆らえない。それに引き換え老子はちょっと斜に構えていて、少しアウトサイダー的な感じがする。孔子に対するアンチテーゼとして、「そうは言っても世の中、誰も彼もがそんな同じ様に頑張れるわけじゃないだろう。人それぞれって事で良いんじゃないの?」と言いたいようだ。
この組み合わせ、どこかで見たな、と思ったら、ピータードラッカーとミンツバーグの二人の関係に似ている。マネジメントやリーダーシップに対するアプローチが、正統派としてマネジメントの在るべき姿を追求したドラッカーに対して、戦略サファリなどをまとめ上げたミンツバーグが、色々あるよね、と言っているようだ。
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2013年6月2日日曜日
2009年6月13日土曜日
24分の24と50分の3 (同窓会と言うもの)
高校の同窓会総会が終わった。
今年50歳になると言う卒業年次の卒業生が幹事を行うというしきたりで、まさにその幹事を担当した同窓会だった。
1年前のこの日に幹事タスキを引き継いだ時から準備が始まり、金融不況のまっさ中での開催となった同窓会総会。
総会終了後、引き継ぎを終えた同期で盛り上がった同期会。本郷の学生旅館で宴会場を貸し切っての寝泊りありの宴だった。
前日の午前11時に集合して、総会を乗り切り、同期会で盛り上がった翌朝、最後まで残った10数名で朝飯を食べ、お茶を飲んで、同じ方向へ帰る一人と別れたのが11時過ぎ。ほぼ24時間の同窓会、同期会であった。
24分の24、50分の3。今月23に日迎える50歳の誕生日。人生の50分の3をあの高校で同級生、先輩後輩と過ごした。その50分の3の人生の為に昨日と今日の24分の24、また過ごしているという。
日々をやり過ごしていると、生活は1日24時間、あるいは1週間で7日、1か月の31日、1年で365日と巡ってくるけれども、決して人生は24分の24でもなければ、7分の7、あるいは365分の365ではなく、50分の50なのだと、そして来年は51分の51なのだと。そして、分母は毎年増えていくが、50分の3の、3年分は決して減ったりはしないのだと。そんなことを考えながら自分の駅にたどり着いた。
今年50歳になると言う卒業年次の卒業生が幹事を行うというしきたりで、まさにその幹事を担当した同窓会だった。
1年前のこの日に幹事タスキを引き継いだ時から準備が始まり、金融不況のまっさ中での開催となった同窓会総会。
総会終了後、引き継ぎを終えた同期で盛り上がった同期会。本郷の学生旅館で宴会場を貸し切っての寝泊りありの宴だった。
前日の午前11時に集合して、総会を乗り切り、同期会で盛り上がった翌朝、最後まで残った10数名で朝飯を食べ、お茶を飲んで、同じ方向へ帰る一人と別れたのが11時過ぎ。ほぼ24時間の同窓会、同期会であった。
24分の24、50分の3。今月23に日迎える50歳の誕生日。人生の50分の3をあの高校で同級生、先輩後輩と過ごした。その50分の3の人生の為に昨日と今日の24分の24、また過ごしているという。
日々をやり過ごしていると、生活は1日24時間、あるいは1週間で7日、1か月の31日、1年で365日と巡ってくるけれども、決して人生は24分の24でもなければ、7分の7、あるいは365分の365ではなく、50分の50なのだと、そして来年は51分の51なのだと。そして、分母は毎年増えていくが、50分の3の、3年分は決して減ったりはしないのだと。そんなことを考えながら自分の駅にたどり着いた。
2009年5月1日金曜日
ガンバラナイケドいいでしょう
がんばれ、みんながんばれ、月は流れて東へ西へ
1970年代、井上陽水はそう叫んで、誰もが急ぎ足で駆け抜けようとしていた時代を歌っていた
誰も遠い未来のことは分からずに、確かな期待感と時代の風に追われて、考える前に踏み出すことだけを焦っていた
誰も何も持っていないのが当たり前で、持っていることにあこがれていた、あの頃。
さがしものは何ですか?いったい何が欲しいのか、大切なものなのか、迷いながら。
たぶん、いろんな目に見えないものを失いながら。
豊かな生活?自由な暮らし?アメリカやヨーロッパの映画に出てくるような生活?ブランド物に囲まれる暮らし。
そして今、吉田拓郎が、ガンバラナイケドいいでしょう、と呟くように歌う。私なりってことでいいでしょう?
余裕の時代?持てる時代?がんばらなくてもいい時代?
何のために頑張っていたんだろう?ボクタチは。
あんなにガンバッタのは、ガンバッテイタのは、無駄ダッタンダロウカ?
飢えや貧乏は、もう無いの?うしなう事は怖くないの?
ガンバルコトはイケナイことなの?
ガンバラナイことは良いことなの?
いま、みんながケイタイで、ネットでツナガッテいて、ホシイモノはナンデモ手に入る
遠い先のことはワカラナイけど、とりあえずアシタハ何とかやっていける、とりあえずアシタハやってくる
なんでそんなにガンバルの
なにをそんなにガンバッテイタの
なんで、そして、ガンバルノ、ヤメタの
Michael J. Fox answered to 10 questions....by TIME vol.173 No.16 2009
Q: How has your diagnosis affected your beliefs about life, death or spirituality?
A: It's a big wake-up call about mortality, obviously. I think that's a good thing for us to get out of the way - the earliest you can responsibly deal with the fact that this isn't a dress rea\hearsal. It's like a 75; 80-year ride if we're lucky, so let's make the most of it.
1970年代、井上陽水はそう叫んで、誰もが急ぎ足で駆け抜けようとしていた時代を歌っていた
誰も遠い未来のことは分からずに、確かな期待感と時代の風に追われて、考える前に踏み出すことだけを焦っていた
誰も何も持っていないのが当たり前で、持っていることにあこがれていた、あの頃。
さがしものは何ですか?いったい何が欲しいのか、大切なものなのか、迷いながら。
たぶん、いろんな目に見えないものを失いながら。
豊かな生活?自由な暮らし?アメリカやヨーロッパの映画に出てくるような生活?ブランド物に囲まれる暮らし。
そして今、吉田拓郎が、ガンバラナイケドいいでしょう、と呟くように歌う。私なりってことでいいでしょう?
余裕の時代?持てる時代?がんばらなくてもいい時代?
何のために頑張っていたんだろう?ボクタチは。
あんなにガンバッタのは、ガンバッテイタのは、無駄ダッタンダロウカ?
飢えや貧乏は、もう無いの?うしなう事は怖くないの?
ガンバルコトはイケナイことなの?
ガンバラナイことは良いことなの?
いま、みんながケイタイで、ネットでツナガッテいて、ホシイモノはナンデモ手に入る
遠い先のことはワカラナイけど、とりあえずアシタハ何とかやっていける、とりあえずアシタハやってくる
なんでそんなにガンバルの
なにをそんなにガンバッテイタの
なんで、そして、ガンバルノ、ヤメタの
Michael J. Fox answered to 10 questions....by TIME vol.173 No.16 2009
Q: How has your diagnosis affected your beliefs about life, death or spirituality?
A: It's a big wake-up call about mortality, obviously. I think that's a good thing for us to get out of the way - the earliest you can responsibly deal with the fact that this isn't a dress rea\hearsal. It's like a 75; 80-year ride if we're lucky, so let's make the most of it.
2009年3月26日木曜日
起きたことは、みな良いことだ
日本最大のSNS、ミクシイのマイミクさんの好きな言葉で、 「起きたことは、みな良いことだ」 と言うのがあって、ああ、こう言う人に私はなりたい、と思ったものです。 勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」にちょっと似ているけど、ちょっと違う。
「人間万事塞翁が馬」ではありませんが、何が幸いするか、災いするか、最後の最後まで、結局わかりません。
起きたこと、やってしまったことは取り返しがつかない。だから一瞬一瞬を大切にする、後悔しない、諦めない。
出来る限りのことをやって、反省すべきは反省し、後悔すべきは後悔し、評価すべきは評価する。明日は今日の続きでもあり、明日は今日とは別の日でもある。
くよくよしない、でもあきらめない。
春はただでさえ、別れと出会い、収束と新たな芽生えの季節。
改めてではないけれど、変化の起こる季節。
今年の6月で、半世紀めの誕生日。
82年に就職、95年にわけあって転職、99年に挑戦、2001年に敗退、2002年には撤退、2005年に撤収・再挑戦、2006年にステップアップ、2009年新たな挑戦の兆し。
こうやって振り返ると、「起きたことは、みな良いことだ」と。
気がつけば27年。波乱の業界で、波乱の会社で、よくもまあ、と言う感じ。
今、また、自分の関わるビジネスが売りに出されようとしていて、近いうちに決断を迫られるのかも知れない。
「起きたことは、みな良いことだ」
きっと、今回もそうに違いない。
「人間万事塞翁が馬」ではありませんが、何が幸いするか、災いするか、最後の最後まで、結局わかりません。
起きたこと、やってしまったことは取り返しがつかない。だから一瞬一瞬を大切にする、後悔しない、諦めない。
出来る限りのことをやって、反省すべきは反省し、後悔すべきは後悔し、評価すべきは評価する。明日は今日の続きでもあり、明日は今日とは別の日でもある。
くよくよしない、でもあきらめない。
春はただでさえ、別れと出会い、収束と新たな芽生えの季節。
改めてではないけれど、変化の起こる季節。
今年の6月で、半世紀めの誕生日。
82年に就職、95年にわけあって転職、99年に挑戦、2001年に敗退、2002年には撤退、2005年に撤収・再挑戦、2006年にステップアップ、2009年新たな挑戦の兆し。
こうやって振り返ると、「起きたことは、みな良いことだ」と。
気がつけば27年。波乱の業界で、波乱の会社で、よくもまあ、と言う感じ。
今、また、自分の関わるビジネスが売りに出されようとしていて、近いうちに決断を迫られるのかも知れない。
「起きたことは、みな良いことだ」
きっと、今回もそうに違いない。
2008年11月30日日曜日
Inescapable Generation? or Escapable Generation?
逃げ切れない世代?逃げ切り世代?
いったい何から逃げきろうというのだろうか?
そんな思いで、この 「逃げ切り世代」 と 「逃げ切れない世代」 との境目を考えてしまう。
そして自分はいったいどうなんだ?と、自問自答することになる。
そもそもは年金問題だったはずだ。平成11年の年金制度改正で、年金の支給年齢が段階的に引き上げられ、同時に総支給額も漸減することになり、改正前の手厚い受給を受けられる世代と、持ち出しになる世代。ただしこれは制度上の問題。自分の属する世代を変更するわけには行かず、逃げ切るかどうかの選択肢は、個人にはない。
そもそも何で年金制度を改正する必要があったのか?これはその逃げ切るべき問題の一つなのか?一部なのか?別物なのか?そして、その「逃げ切るべき問題」とは何なのか?
問題は梅田望夫氏が「ウェブ進化論」で唱えるところの、あるいはトーマス・フリードマンが「フラット化する世界」で言うところの、ここ10年ほどで世界で起きている、PCやインターネットによる急激な情報化社会と世界市場の統合などの時代の変化なのか?
それとも、海部美知氏が「パラダイス鎖国」で言うところの孤高のマイノリティである日本国が求められている緩やかな開国や軽やかなグローバル化、また梅田氏がそのウェブ進化論の「脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」で「日本と言う国は「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」ばかりの発想で支配されている国」から脱出して組織に依存しない個人を単位としたネットワークが機能する社会なのか?
これからぼちぼち、自分自身の整理をつけるためにも、書き記していこうと思う。
そんな思いで、この 「逃げ切り世代」 と 「逃げ切れない世代」 との境目を考えてしまう。
そして自分はいったいどうなんだ?と、自問自答することになる。
そもそもは年金問題だったはずだ。平成11年の年金制度改正で、年金の支給年齢が段階的に引き上げられ、同時に総支給額も漸減することになり、改正前の手厚い受給を受けられる世代と、持ち出しになる世代。ただしこれは制度上の問題。自分の属する世代を変更するわけには行かず、逃げ切るかどうかの選択肢は、個人にはない。
そもそも何で年金制度を改正する必要があったのか?これはその逃げ切るべき問題の一つなのか?一部なのか?別物なのか?そして、その「逃げ切るべき問題」とは何なのか?
問題は梅田望夫氏が「ウェブ進化論」で唱えるところの、あるいはトーマス・フリードマンが「フラット化する世界」で言うところの、ここ10年ほどで世界で起きている、PCやインターネットによる急激な情報化社会と世界市場の統合などの時代の変化なのか?
それとも、海部美知氏が「パラダイス鎖国」で言うところの孤高のマイノリティである日本国が求められている緩やかな開国や軽やかなグローバル化、また梅田氏がそのウェブ進化論の「脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」で「日本と言う国は「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」ばかりの発想で支配されている国」から脱出して組織に依存しない個人を単位としたネットワークが機能する社会なのか?
これからぼちぼち、自分自身の整理をつけるためにも、書き記していこうと思う。
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