内田樹氏のブログで第二次大戦後、東京裁判が日本に半永久的に強制したもは、米国への従属とアジア近隣諸国への謝罪の二つであるとしている。これに対して戦後の政治家はこの2つのうちのどちらかに重点を置くことで振り子のように振れながらもバランスを保ってきたのかもしれない。
東京大学教授の加藤陽子氏はその著書で吉田健一氏の「ヨオロッパの人間」の一節を紹介している。「戦争とは、近親者と別れて戦場に赴くとか、原子爆弾で人間が一時にあるいは漸次に死ぬとかいう事ではない。それは宣戦布告が行われれば何時敵が自分の門前に現れるか解らず、またそのことを当然のこととして覚悟しなければならないと言うことであり、同じく当然のこととして自分の国がその文明が亡びることもその覚悟のうちに含まれることになる。」と紹介している。
戦前戦後の政治家が先の戦争について、日本人の覚悟として戦争をそのように考えていたかと言うとそうは思えない。
陸続きで他国、他民族との戦争を繰り返してきた大陸諸国、とりわけ欧州各国を率いる為政者たちの考える戦争と日本の為政者の考える戦争は全く次元の異なるものだったのかもしれない。また、この違いが日本人が戦後を終わらせることのできない大きな原因なのかもしれない。
日清日露と第1次世界大戦、日本の固有の領土が戦場になることはなく、第二次世界大戦でも固有の領土との認識の薄い沖縄を戦場とすることはあっても、本土が戦場になることはなかった。
原子爆弾の投下や焼夷弾による空襲などで本土の被害は想像を絶するものではあったが、直接敵の軍隊と対峙したわけでもない。
日本人にとって、外国との戦争と言うのは天災の一つに過ぎないのではないかという思いにとらわれてしまう。
2014年2月17日月曜日
2011年11月5日土曜日
TPP考
TPPについて言えば、賛成派も反対派も浅はかな表面的なデメリットを強調してお互いに非難するだけで、享受できるメリットと払うべきコスト、引き受けることになるリスクについての洗い出しや分析をしたものを見たことが無い。行動を起こすのに、達成する目標と引きうけるべきリスクと払うべきコストを現実的に分析して戦略的に対応できれば恐れるものは無いのだけれど。
基本的な国際経済学の基礎知識としても貿易がほとんどの国の国富を増すことは説明されている。それでもまだ、なんか変だぞと思うのは、そもそも海に囲まれて自給自足でやってきた日本が、日々の生活の中でさえ国境線を奪い合うような環境の下でしのぎを削ってきて、5年先はおろか、来年や来月、明日にだって隣国が国境を越えてやってくるかもしれない国々の交渉や戦略に長けた国々の常識に本当について行けるのだろうかという不安。
日本におけるTPPの問題は、単に物事の良し悪しと言うよりも、普天間基地問題と同様にそれが内政と密接にかかわる外交問題であるがゆえに、政争の具と化して、本来議論すべき内容が議論されず、対外的な外交戦略を持たないままその時の内政の事情でたまたま決定した方向へそのまま突っ走ること。本来はその方向を修正したり補強する為の官僚組織が今は機能していないこと。
農業の事、薬事医療の事、知財の事、個別のメリット、デメリットの話を始めると総論賛成、各論反対となる。WTOからEPA、FTA、さらにTPPへと他国との交渉の方法やレベルが国債環境に於いて変遷してきているなか、政治レベルでのコンセンサス、国民レベルでの方向性の合意、議論がなされていない。世論の形成しようとしない?出来ない国なのか?
生産者としての立場での反対、消費者の立場での反対?韓国とアメリカのFTAは涙の不平等条約?総和としてのメリットとデメリットを検討する。これに加えて双方でのクリティカルな項目についての戦略的な対応を国家として検討して実行することが必要。池田さんはアグレッシブ、今のうちに先進国とした儲けておく。先進国としての先進的なサービス産業を輸出する。結論ありきの議論の展開には反対の立場の人間はついて行けないかもしれない。
堀さんのコメント。賛成も反対もあって当たり前。出来る議論を全て持ち出すことが大切。
何れを選択するにしても、個々の問題についてひとつひとつ戦略的な対応が求められ、たとえTPPに参加しなくとも政治的、否、国民的課題は我々に付いて回り、その戦略上の条件、前提が変わってくると言うだけの話。
池田信夫さんの「日米構造協議の教訓」(http://agora-web.jp/archives/1400555.html)の鋭い読み。日本はそんなに簡単には変われないし変わらない。変ってゆく世界の中で変わらない事のリスクや変わる場合のリスクの分析や対応、何を変えなければならないのか、大事なのはそういった議論をグローバルな世界的な視野をもって日本の国民全体としての国益の視点からすること。
基本的な国際経済学の基礎知識としても貿易がほとんどの国の国富を増すことは説明されている。それでもまだ、なんか変だぞと思うのは、そもそも海に囲まれて自給自足でやってきた日本が、日々の生活の中でさえ国境線を奪い合うような環境の下でしのぎを削ってきて、5年先はおろか、来年や来月、明日にだって隣国が国境を越えてやってくるかもしれない国々の交渉や戦略に長けた国々の常識に本当について行けるのだろうかという不安。
日本におけるTPPの問題は、単に物事の良し悪しと言うよりも、普天間基地問題と同様にそれが内政と密接にかかわる外交問題であるがゆえに、政争の具と化して、本来議論すべき内容が議論されず、対外的な外交戦略を持たないままその時の内政の事情でたまたま決定した方向へそのまま突っ走ること。本来はその方向を修正したり補強する為の官僚組織が今は機能していないこと。
農業の事、薬事医療の事、知財の事、個別のメリット、デメリットの話を始めると総論賛成、各論反対となる。WTOからEPA、FTA、さらにTPPへと他国との交渉の方法やレベルが国債環境に於いて変遷してきているなか、政治レベルでのコンセンサス、国民レベルでの方向性の合意、議論がなされていない。世論の形成しようとしない?出来ない国なのか?
生産者としての立場での反対、消費者の立場での反対?韓国とアメリカのFTAは涙の不平等条約?総和としてのメリットとデメリットを検討する。これに加えて双方でのクリティカルな項目についての戦略的な対応を国家として検討して実行することが必要。池田さんはアグレッシブ、今のうちに先進国とした儲けておく。先進国としての先進的なサービス産業を輸出する。結論ありきの議論の展開には反対の立場の人間はついて行けないかもしれない。
堀さんのコメント。賛成も反対もあって当たり前。出来る議論を全て持ち出すことが大切。
何れを選択するにしても、個々の問題についてひとつひとつ戦略的な対応が求められ、たとえTPPに参加しなくとも政治的、否、国民的課題は我々に付いて回り、その戦略上の条件、前提が変わってくると言うだけの話。
池田信夫さんの「日米構造協議の教訓」(http://agora-web.jp/archives/1400555.html)の鋭い読み。日本はそんなに簡単には変われないし変わらない。変ってゆく世界の中で変わらない事のリスクや変わる場合のリスクの分析や対応、何を変えなければならないのか、大事なのはそういった議論をグローバルな世界的な視野をもって日本の国民全体としての国益の視点からすること。
2011年8月28日日曜日
民主党の政治? 日本の政治?
「小沢先生が熟慮されて決められた事ですから!」と平気でインタビューに答える民主党の国会議員。自分の頭で考えている民主党議員は小沢一郎以外にいるのか?5人の代表候補を含めて...
なんでこんな日本になってしまったのだろう。自分の頭で考えて、自分の言葉で語りかけ、それを分かち合って実行していこうと言うのが政治家で、その同志の集まるのが政党のはず。あまりにも清掃を繰り返し過ぎてきたからか。戦前の政友会と民政党の泥沼試合と同じ?あの頃は貴族院も枢密院もあって、まだ抑制がされていたようにも思うが、今の参議院は衆議院のおまけのような存在で、しかも独立した公平な判断も出来ない。
小沢一郎がもう少し近代的なマネジメントと政治手法を学んでさえいれば世の中変わっただろうに。
なんでこんな日本になってしまったのだろう。自分の頭で考えて、自分の言葉で語りかけ、それを分かち合って実行していこうと言うのが政治家で、その同志の集まるのが政党のはず。あまりにも清掃を繰り返し過ぎてきたからか。戦前の政友会と民政党の泥沼試合と同じ?あの頃は貴族院も枢密院もあって、まだ抑制がされていたようにも思うが、今の参議院は衆議院のおまけのような存在で、しかも独立した公平な判断も出来ない。
小沢一郎がもう少し近代的なマネジメントと政治手法を学んでさえいれば世の中変わっただろうに。
2009年4月26日日曜日
Re:文系日本人の「外向き国際化」の難しさ
海部美知さんの少し前のブログにあった「文系日本人の「外向き国際化」の難しさ」。Facebookで見つけた共通の大学、社会科学の総合大学と言う背伸びのキャッチコピーを持った、法学・経済・商学・社会学という4つの文系学部のみを抱えた一橋大学の同窓会のSF支部の集まりへ出席しての課題提起。
理科系の人間と違って、営業・経理・広報などの仕事は現地に根付いた文化や商習慣に依拠することから、日本以外でその能力を発揮しにくい。特にシリコンバレーでは、理科系・技術系の人的ネットワークや共通する「気分」など、日本の技術系のベンチャーとの人の繋がりはあるのだが、文系にはそれがないという。
私は海外での直接雇用された経験はないものの、大学卒業以来25年あまりずっと外資系の企業、しかも金融系で業務、営業、管理、コンプライアンス等の文系の仕事をこなしてきて、まさに同様の壁にぶち当たっていた。
日本の外資系金融は、27年前の当時でこそアジアにおける唯一の重要拠点である東京に一流の(ある程度の一流。本当のエリートは欧米が中心だった。)エリートの若手を送り込み、あるいはある程度の経営経験を持ったトップを置いていたけれど、20年前のバブル崩壊後、日本の金融市場の縮小、中国や東南アジアの国際金融市場でのプレゼンスの高まりと共に、それなりの人員しか配置しなくなり、あるいは複雑で面倒な日本の行政手続、法令対応などのため、日系出身のマネジメントに経営を任せるようになった。
こういった背景の中で、日本の外資系金融には2つの大きな問題が残された。
1つは、世界的な金融グループでの日本のビジネスに対する理解や対応が著しく鈍くなっていること。
2つめは、日本における現地の経営責任を誰も取ろうとしなくなってきていること。
日本の大学などは大卒とはほとんど認められず、MBAを持っているものはほとんどがフロントの日本企業向けの営業に回され、また中途半端な外人マネジメントは日本の企業風土に関する理解や対応などは微塵も考えず、本社の収益目標を如何に達成するかのみを英語の通じるMBA保持者にプレッシャーをかけて来る。ひとえに外資系金融機関の本社マネジメントに食い込むことのできる日本人マネジメント不在のなせる業である。また、その為のベースとなる日本における経営理論なり経営哲学不在の為である、と思う。
日本と言う国家、国民経済の主体としての国家としての日本、日本に生まれてその固有の文化を共有する日本民族の総体としての日本人、さらに世界市民の一角を占めているはずの世界市民としての一人ひとりの日本生まれの日本人という、それぞれの立場での関わりあい、立場の違いはあるにせよ、克服すべき課題であると思う。課題の設定の仕方は、相当慎重にするべきだとは思うが。
理科系の人間と違って、営業・経理・広報などの仕事は現地に根付いた文化や商習慣に依拠することから、日本以外でその能力を発揮しにくい。特にシリコンバレーでは、理科系・技術系の人的ネットワークや共通する「気分」など、日本の技術系のベンチャーとの人の繋がりはあるのだが、文系にはそれがないという。
私は海外での直接雇用された経験はないものの、大学卒業以来25年あまりずっと外資系の企業、しかも金融系で業務、営業、管理、コンプライアンス等の文系の仕事をこなしてきて、まさに同様の壁にぶち当たっていた。
日本の外資系金融は、27年前の当時でこそアジアにおける唯一の重要拠点である東京に一流の(ある程度の一流。本当のエリートは欧米が中心だった。)エリートの若手を送り込み、あるいはある程度の経営経験を持ったトップを置いていたけれど、20年前のバブル崩壊後、日本の金融市場の縮小、中国や東南アジアの国際金融市場でのプレゼンスの高まりと共に、それなりの人員しか配置しなくなり、あるいは複雑で面倒な日本の行政手続、法令対応などのため、日系出身のマネジメントに経営を任せるようになった。
こういった背景の中で、日本の外資系金融には2つの大きな問題が残された。
1つは、世界的な金融グループでの日本のビジネスに対する理解や対応が著しく鈍くなっていること。
2つめは、日本における現地の経営責任を誰も取ろうとしなくなってきていること。
日本の大学などは大卒とはほとんど認められず、MBAを持っているものはほとんどがフロントの日本企業向けの営業に回され、また中途半端な外人マネジメントは日本の企業風土に関する理解や対応などは微塵も考えず、本社の収益目標を如何に達成するかのみを英語の通じるMBA保持者にプレッシャーをかけて来る。ひとえに外資系金融機関の本社マネジメントに食い込むことのできる日本人マネジメント不在のなせる業である。また、その為のベースとなる日本における経営理論なり経営哲学不在の為である、と思う。
日本と言う国家、国民経済の主体としての国家としての日本、日本に生まれてその固有の文化を共有する日本民族の総体としての日本人、さらに世界市民の一角を占めているはずの世界市民としての一人ひとりの日本生まれの日本人という、それぞれの立場での関わりあい、立場の違いはあるにせよ、克服すべき課題であると思う。課題の設定の仕方は、相当慎重にするべきだとは思うが。
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