2009年4月26日日曜日

Re:文系日本人の「外向き国際化」の難しさ

海部美知さんの少し前のブログにあった「文系日本人の「外向き国際化」の難しさ」。Facebookで見つけた共通の大学、社会科学の総合大学と言う背伸びのキャッチコピーを持った、法学・経済・商学・社会学という4つの文系学部のみを抱えた一橋大学の同窓会のSF支部の集まりへ出席しての課題提起。
理科系の人間と違って、営業・経理・広報などの仕事は現地に根付いた文化や商習慣に依拠することから、日本以外でその能力を発揮しにくい。特にシリコンバレーでは、理科系・技術系の人的ネットワークや共通する「気分」など、日本の技術系のベンチャーとの人の繋がりはあるのだが、文系にはそれがないという。

私は海外での直接雇用された経験はないものの、大学卒業以来25年あまりずっと外資系の企業、しかも金融系で業務、営業、管理、コンプライアンス等の文系の仕事をこなしてきて、まさに同様の壁にぶち当たっていた。

日本の外資系金融は、27年前の当時でこそアジアにおける唯一の重要拠点である東京に一流の(ある程度の一流。本当のエリートは欧米が中心だった。)エリートの若手を送り込み、あるいはある程度の経営経験を持ったトップを置いていたけれど、20年前のバブル崩壊後、日本の金融市場の縮小、中国や東南アジアの国際金融市場でのプレゼンスの高まりと共に、それなりの人員しか配置しなくなり、あるいは複雑で面倒な日本の行政手続、法令対応などのため、日系出身のマネジメントに経営を任せるようになった。

こういった背景の中で、日本の外資系金融には2つの大きな問題が残された。
1つは、世界的な金融グループでの日本のビジネスに対する理解や対応が著しく鈍くなっていること。
2つめは、日本における現地の経営責任を誰も取ろうとしなくなってきていること。

日本の大学などは大卒とはほとんど認められず、MBAを持っているものはほとんどがフロントの日本企業向けの営業に回され、また中途半端な外人マネジメントは日本の企業風土に関する理解や対応などは微塵も考えず、本社の収益目標を如何に達成するかのみを英語の通じるMBA保持者にプレッシャーをかけて来る。ひとえに外資系金融機関の本社マネジメントに食い込むことのできる日本人マネジメント不在のなせる業である。また、その為のベースとなる日本における経営理論なり経営哲学不在の為である、と思う。

日本と言う国家、国民経済の主体としての国家としての日本、日本に生まれてその固有の文化を共有する日本民族の総体としての日本人、さらに世界市民の一角を占めているはずの世界市民としての一人ひとりの日本生まれの日本人という、それぞれの立場での関わりあい、立場の違いはあるにせよ、克服すべき課題であると思う。課題の設定の仕方は、相当慎重にするべきだとは思うが。