2009年3月29日日曜日

ハイエクの自由主義とミクロ・マクロループの課題

大学時代には、人に言うのも恥ずかしいくらいの不勉強だった。

自分で選んで入った経済学部で、近代経済学の意図するところにまったく興味が持てずにいたが、最近読んでいた池田信夫さんの「ハイエク」を読み終えて、大学時代にどうしても納得できなかった、おおよそあり得ない仮定を前提としたあの頃の経済理論(今でもあまり変わっていないらいしのだが)が、やっぱり全然役に立たなかったってことが解って、30年振りにすっきり!

間違えることの自由、それを修正することの自由。それぞれの目的を見つける過程で様々な進化やイノベーションが起きるということ。もともと人は合理的に行動もしないし、すべての情報を、しかも”ただ”で持っているわけでもないし、人それぞれの状況の中で場合によっては最善かも知れない選択をすることもあるが、そうでない場合も多い。個別の事情と国民経済の動向を結び付けるロジックを持たずに最適解を求めることはできないし、もともと最適解なんかないということ。

一橋大学名誉教授でスタンフォードのシニア・フェローでもある今井賢一先生に、4年前の講演会と先日の別の勉強会でも伺った話に出てきた、「ハイエクの未解決の問題」と「ミクロ・マクロ・ループ」の話がようやくこの本を読んだことで繋がった気がした。ミクロの小グループとマクロとしての社会全体とが、ネットワークでつながって、それぞれが影響を与える繋がりがあるということ、そこが非常に重要なポイントである、と、そんな話だったに思う。 そこで、Tipping Point (Malcolm Gladwell)や Six degrees of separation(六次の隔たり)の話がでてくる。実に、個々とグループ、小グループと大グループ、あるいは社会全体を繋ぐ仕組みの問題である。世界がフラット化するかと思えば、分散してゆくという、均衡と不均衡、拡散のバランスの仕組みがあるのか、と言うことのようである。

(取り急ぎ備忘録として)

2009年3月26日木曜日

起きたことは、みな良いことだ

日本最大のSNS、ミクシイのマイミクさんの好きな言葉で、 「起きたことは、みな良いことだ」 と言うのがあって、ああ、こう言う人に私はなりたい、と思ったものです。 勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」にちょっと似ているけど、ちょっと違う。

「人間万事塞翁が馬」ではありませんが、何が幸いするか、災いするか、最後の最後まで、結局わかりません。

起きたこと、やってしまったことは取り返しがつかない。だから一瞬一瞬を大切にする、後悔しない、諦めない。

出来る限りのことをやって、反省すべきは反省し、後悔すべきは後悔し、評価すべきは評価する。明日は今日の続きでもあり、明日は今日とは別の日でもある。

くよくよしない、でもあきらめない。


春はただでさえ、別れと出会い、収束と新たな芽生えの季節。
改めてではないけれど、変化の起こる季節。


今年の6月で、半世紀めの誕生日。

82年に就職、95年にわけあって転職、99年に挑戦、2001年に敗退、2002年には撤退、2005年に撤収・再挑戦、2006年にステップアップ、2009年新たな挑戦の兆し。

こうやって振り返ると、「起きたことは、みな良いことだ」と。
気がつけば27年。波乱の業界で、波乱の会社で、よくもまあ、と言う感じ。

今、また、自分の関わるビジネスが売りに出されようとしていて、近いうちに決断を迫られるのかも知れない。

「起きたことは、みな良いことだ」

きっと、今回もそうに違いない。