2009年6月13日土曜日

24分の24と50分の3 (同窓会と言うもの)

高校の同窓会総会が終わった。

今年50歳になると言う卒業年次の卒業生が幹事を行うというしきたりで、まさにその幹事を担当した同窓会だった。

1年前のこの日に幹事タスキを引き継いだ時から準備が始まり、金融不況のまっさ中での開催となった同窓会総会。
総会終了後、引き継ぎを終えた同期で盛り上がった同期会。本郷の学生旅館で宴会場を貸し切っての寝泊りありの宴だった。


前日の午前11時に集合して、総会を乗り切り、同期会で盛り上がった翌朝、最後まで残った10数名で朝飯を食べ、お茶を飲んで、同じ方向へ帰る一人と別れたのが11時過ぎ。ほぼ24時間の同窓会、同期会であった。

24分の24、50分の3。今月23に日迎える50歳の誕生日。人生の50分の3をあの高校で同級生、先輩後輩と過ごした。その50分の3の人生の為に昨日と今日の24分の24、また過ごしているという。

日々をやり過ごしていると、生活は1日24時間、あるいは1週間で7日、1か月の31日、1年で365日と巡ってくるけれども、決して人生は24分の24でもなければ、7分の7、あるいは365分の365ではなく、50分の50なのだと、そして来年は51分の51なのだと。そして、分母は毎年増えていくが、50分の3の、3年分は決して減ったりはしないのだと。そんなことを考えながら自分の駅にたどり着いた。

2009年5月13日水曜日

アメリカと言う国の設計図

新潮45の5月号に内田樹さん(神戸女学院大学教授)の「言葉なき政治の貧困 日本の政界に漂う奇怪な症候群。その耐えられない軽さをもたらしているものとは?」と言うタイトルのエッセイが掲載されていた。

この人のエッセイやブログは以前にも参照したことがあって、とても面白いし人気のようだが、それはそれで論争を呼ぶようです。本人は自分が書いたことに対するコメントや批判についてはわれ関せ図を決め込んでいるようだが、誤解や中傷を招きかねないのではと他人ごとながら心配したりしている。

と言うものの、私はこの人のエッセイ、ブログの類は好きだ。切り口や視点がユニークであるにも拘らず、分かりやすくシャープだ。必ずしも一貫した主張をしているように見えないが、この人の批判精神は深い洞察のたまものであると思う。

今回の内田氏の論点はいくつかある。
1.米国のオバマ大統領は100年に一度の金融不況の中で、米国のそもそもの成り立ち、その設計図に立ち返ることを前面に押し出して選挙戦及び損後の政策に反映させてその求心力を保ってきている。


アメリカ大使館による独立宣言の日本語訳
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-independence.html

アメリカの設計図と決意が独立宣言なら、日本人のプリンシプルとして新渡戸稲造が再生しようとして著作した武士道が日本人としての在り様か。
サムライたる者、名誉に重きを置き、それを以て己の価値とすべし。
自らが下した決断と、それらがいかに成し遂げられたかが、己の真の姿を占める。
己自身から決して逃げ隠れすることは出来ない。
(新渡戸稲造「武士道」より)

ということか。

2009年5月4日月曜日

Re: 国や組織はどういう時に良くなるか

海外で勉強して働こうで渡辺千賀さんがカミングアウトした本音を追加のブログでフォローしていた。

1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

とても論議を呼びそうな議論だけど、とても複雑で本当はいろんな要素をはらんだ議論なので、紋切り型の議論は出来ない。
日本の国家として、あるいは国民経済としての問題と、日本人と言う国民と言うか民族と言うかそういう集団としての問題と、世界市民として日本に生まれた日本人一人ひとりの生き方としての問題と区別しないと実のある議論にはならないように思う。
世界市民として日本に生まれた日本人にとっては国民経済としての日本の行く末は、気にはなりこそすれ、個人の問題としてはかなり低い優先順位なんだと思う。そう言う人たちを対象と考えた場合、日本じゃないところで学んで仕事を得て暮らしていくのはなかなか賢い選択肢しなんだと思う。
ただ、世界市民としての自覚がない大方の日本生まれの日本人にとって、日本以外で学び生活の糧を得るのは、なかなか難しい選択だろう。
日本以外の多くの国では、そう言う選択肢を突きつけられるのは当たり前なのに、日本では珍しい。海に囲まれた平和な島国故なのだと思う。
また渡邊千賀さんの思い切った発言を期待したいと思う。

2009年5月1日金曜日

ガンバラナイケドいいでしょう

がんばれ、みんながんばれ、月は流れて東へ西へ

1970年代、井上陽水はそう叫んで、誰もが急ぎ足で駆け抜けようとしていた時代を歌っていた
誰も遠い未来のことは分からずに、確かな期待感と時代の風に追われて、考える前に踏み出すことだけを焦っていた
誰も何も持っていないのが当たり前で、持っていることにあこがれていた、あの頃。

さがしものは何ですか?いったい何が欲しいのか、大切なものなのか、迷いながら。
たぶん、いろんな目に見えないものを失いながら。
豊かな生活?自由な暮らし?アメリカやヨーロッパの映画に出てくるような生活?ブランド物に囲まれる暮らし。

そして今、吉田拓郎が、ガンバラナイケドいいでしょう、と呟くように歌う。私なりってことでいいでしょう?

余裕の時代?持てる時代?がんばらなくてもいい時代?
何のために頑張っていたんだろう?ボクタチは。
あんなにガンバッタのは、ガンバッテイタのは、無駄ダッタンダロウカ?


飢えや貧乏は、もう無いの?うしなう事は怖くないの?
ガンバルコトはイケナイことなの?
ガンバラナイことは良いことなの?



いま、みんながケイタイで、ネットでツナガッテいて、ホシイモノはナンデモ手に入る
遠い先のことはワカラナイけど、とりあえずアシタハ何とかやっていける、とりあえずアシタハやってくる

なんでそんなにガンバルの
なにをそんなにガンバッテイタの
なんで、そして、ガンバルノ、ヤメタの


Michael J. Fox answered to 10 questions....by TIME vol.173 No.16 2009
Q: How has your diagnosis affected your beliefs about life, death or spirituality?
A: It's a big wake-up call about mortality, obviously. I think that's a good thing for us to get out of the way - the earliest you can responsibly deal with the fact that this isn't a dress rea\hearsal. It's like a 75; 80-year ride if we're lucky, so let's make the most of it.

2009年4月26日日曜日

Re:文系日本人の「外向き国際化」の難しさ

海部美知さんの少し前のブログにあった「文系日本人の「外向き国際化」の難しさ」。Facebookで見つけた共通の大学、社会科学の総合大学と言う背伸びのキャッチコピーを持った、法学・経済・商学・社会学という4つの文系学部のみを抱えた一橋大学の同窓会のSF支部の集まりへ出席しての課題提起。
理科系の人間と違って、営業・経理・広報などの仕事は現地に根付いた文化や商習慣に依拠することから、日本以外でその能力を発揮しにくい。特にシリコンバレーでは、理科系・技術系の人的ネットワークや共通する「気分」など、日本の技術系のベンチャーとの人の繋がりはあるのだが、文系にはそれがないという。

私は海外での直接雇用された経験はないものの、大学卒業以来25年あまりずっと外資系の企業、しかも金融系で業務、営業、管理、コンプライアンス等の文系の仕事をこなしてきて、まさに同様の壁にぶち当たっていた。

日本の外資系金融は、27年前の当時でこそアジアにおける唯一の重要拠点である東京に一流の(ある程度の一流。本当のエリートは欧米が中心だった。)エリートの若手を送り込み、あるいはある程度の経営経験を持ったトップを置いていたけれど、20年前のバブル崩壊後、日本の金融市場の縮小、中国や東南アジアの国際金融市場でのプレゼンスの高まりと共に、それなりの人員しか配置しなくなり、あるいは複雑で面倒な日本の行政手続、法令対応などのため、日系出身のマネジメントに経営を任せるようになった。

こういった背景の中で、日本の外資系金融には2つの大きな問題が残された。
1つは、世界的な金融グループでの日本のビジネスに対する理解や対応が著しく鈍くなっていること。
2つめは、日本における現地の経営責任を誰も取ろうとしなくなってきていること。

日本の大学などは大卒とはほとんど認められず、MBAを持っているものはほとんどがフロントの日本企業向けの営業に回され、また中途半端な外人マネジメントは日本の企業風土に関する理解や対応などは微塵も考えず、本社の収益目標を如何に達成するかのみを英語の通じるMBA保持者にプレッシャーをかけて来る。ひとえに外資系金融機関の本社マネジメントに食い込むことのできる日本人マネジメント不在のなせる業である。また、その為のベースとなる日本における経営理論なり経営哲学不在の為である、と思う。

日本と言う国家、国民経済の主体としての国家としての日本、日本に生まれてその固有の文化を共有する日本民族の総体としての日本人、さらに世界市民の一角を占めているはずの世界市民としての一人ひとりの日本生まれの日本人という、それぞれの立場での関わりあい、立場の違いはあるにせよ、克服すべき課題であると思う。課題の設定の仕方は、相当慎重にするべきだとは思うが。

2009年3月29日日曜日

ハイエクの自由主義とミクロ・マクロループの課題

大学時代には、人に言うのも恥ずかしいくらいの不勉強だった。

自分で選んで入った経済学部で、近代経済学の意図するところにまったく興味が持てずにいたが、最近読んでいた池田信夫さんの「ハイエク」を読み終えて、大学時代にどうしても納得できなかった、おおよそあり得ない仮定を前提としたあの頃の経済理論(今でもあまり変わっていないらいしのだが)が、やっぱり全然役に立たなかったってことが解って、30年振りにすっきり!

間違えることの自由、それを修正することの自由。それぞれの目的を見つける過程で様々な進化やイノベーションが起きるということ。もともと人は合理的に行動もしないし、すべての情報を、しかも”ただ”で持っているわけでもないし、人それぞれの状況の中で場合によっては最善かも知れない選択をすることもあるが、そうでない場合も多い。個別の事情と国民経済の動向を結び付けるロジックを持たずに最適解を求めることはできないし、もともと最適解なんかないということ。

一橋大学名誉教授でスタンフォードのシニア・フェローでもある今井賢一先生に、4年前の講演会と先日の別の勉強会でも伺った話に出てきた、「ハイエクの未解決の問題」と「ミクロ・マクロ・ループ」の話がようやくこの本を読んだことで繋がった気がした。ミクロの小グループとマクロとしての社会全体とが、ネットワークでつながって、それぞれが影響を与える繋がりがあるということ、そこが非常に重要なポイントである、と、そんな話だったに思う。 そこで、Tipping Point (Malcolm Gladwell)や Six degrees of separation(六次の隔たり)の話がでてくる。実に、個々とグループ、小グループと大グループ、あるいは社会全体を繋ぐ仕組みの問題である。世界がフラット化するかと思えば、分散してゆくという、均衡と不均衡、拡散のバランスの仕組みがあるのか、と言うことのようである。

(取り急ぎ備忘録として)

2009年3月26日木曜日

起きたことは、みな良いことだ

日本最大のSNS、ミクシイのマイミクさんの好きな言葉で、 「起きたことは、みな良いことだ」 と言うのがあって、ああ、こう言う人に私はなりたい、と思ったものです。 勝間和代さんの「起きていることはすべて正しい」にちょっと似ているけど、ちょっと違う。

「人間万事塞翁が馬」ではありませんが、何が幸いするか、災いするか、最後の最後まで、結局わかりません。

起きたこと、やってしまったことは取り返しがつかない。だから一瞬一瞬を大切にする、後悔しない、諦めない。

出来る限りのことをやって、反省すべきは反省し、後悔すべきは後悔し、評価すべきは評価する。明日は今日の続きでもあり、明日は今日とは別の日でもある。

くよくよしない、でもあきらめない。


春はただでさえ、別れと出会い、収束と新たな芽生えの季節。
改めてではないけれど、変化の起こる季節。


今年の6月で、半世紀めの誕生日。

82年に就職、95年にわけあって転職、99年に挑戦、2001年に敗退、2002年には撤退、2005年に撤収・再挑戦、2006年にステップアップ、2009年新たな挑戦の兆し。

こうやって振り返ると、「起きたことは、みな良いことだ」と。
気がつけば27年。波乱の業界で、波乱の会社で、よくもまあ、と言う感じ。

今、また、自分の関わるビジネスが売りに出されようとしていて、近いうちに決断を迫られるのかも知れない。

「起きたことは、みな良いことだ」

きっと、今回もそうに違いない。

2009年1月12日月曜日

一度も植民地になったことがない日本

デュラン・れい子さんの「一度も植民地になったことがない日本」(講談社α新書 2007年7月20日第1刷発行)を読んだ。

1942年生まれ、日本初の女性コピーライターで、退職後にスウェーデン人と結婚して主にオランダ在住、現在アーチストとして活動するかたわら欧米のアーティストを日本に紹介している方とのこと。

特に印象に残った話の一つとして、日本の欧州の中での位置づけとして、アジア、アフリカ諸国の中で植民地にならなかったのは日本とタイとエチオピアのみとの共通認識があるとのこと。日本がアジアに対して未だに加害者としての認識を国として持っているのに対して、私としてはとても新鮮な視点で、改めて欧州と言う「もう一つの世界の中心」から眺めた世界の景色の違いに驚かされる。そして、もう一つ不思議に思ったのは、彼らが中国をカウントしていないこと。確かに中国も植民地になっていないのに、彼らにとって中国は特殊な国なんだろうか。

それにしても、欧州から見た世界は欧州と新世界である南北アメリカ大陸、植民地であったアジア・アフリカの諸国、それ以外の国として、中国、韓国、日本のファーイーストなのだろうか。アメリカと違って欧州から見ると日本は極東の国、東欧、イスラムの中近東、アジアとしてのインド、東南アジア諸国、その先のベトナム、中国、韓国、日本となり、どうしても関心は薄くなる。さらに日本は陸続きのユーラシア大陸からさらに海を渡った先の島。今でこそ飛行機で行けばその差はわずかかも知れないが、つい100年ほど前までは陸路で行ける中国とさらにそこから海を渡る日本でその距離感は無限大に近かったのかも知れない。


れい子さんの言うところの植民地になったこと無い国と言う認識をさらに突き詰めてみると、もう一段深い所の日本と言う国の履歴書の特異性が見えてくる。

世界で見ると、植民地になったことのないのは日本、タイ、エチオピア、中国だけでなく、ほとんどの欧州の国々もあげられるが、他民族の支配を実質的に受けた事の無い国と言うのは、日本とアメリカくらいではないだろうか?これは微妙な表現である。多様な民族を抱える国々がある一方で、同一民族が難民となってあるいは他国の征服を目指して移動を繰り返してきた大陸諸国について、国と民族が常に一致していないという事実から、この枠組みでの議論はどうしても日本の特殊性の問題となってしまう可能性が高い。また、アメリカの場合も司馬遼太郎の言う「人工国家」としてその短い歴史の中で、特殊な例とせざるを得ない。

すぐにこれはこうだという結論の出る話ではないので、本日の所は「一度も植民地になったことがない日本」の感想の一つをメモ代わりにと言う事で。

2009年1月7日水曜日

内向きの大国

本日、お気に入りのla dolce vitaさんのブログ「世界級ライフスタイルのつくり方」を読んでいて、内田氏の書いた「内向き」日本についてのブログに反応して、その他にもいくつかのブログを紹介しながら、日本がこれから内向きでもやっていけるのだろうか、という疑問が呈されていて、そう言った識者が多いのだろうかと危惧されていた。外資系企業に長年勤める私の日頃の問題意識に触れるところがあったので、少し整理しておこうと思う。

内田氏のブログの記事は決してそのまま受け取ることはできないような気がしている。皮肉にも取れるし、本気の発言にも取れる。おそらく両方なのだろうと思う。内田氏はそのブログで、次のように記述している。

「日本と地政学的地位も地理学的位置も人口数も違う国」で採用したソリューションの成功と比較することにはほとんど意味がない。
にもかかわらず、相変わらず識者たちは「アメリカではこうである」「ドイツではこうである」「フィンランドではこうである」というような個別的事例の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因はあるという語り口を放棄しない。


また、内田氏が紹介している平川氏のブログには次のように記述されていて、共通の問題意識がうかがえる。

「現実的な政策や行動は、それを忌避するにせよ、連帯するにせよそれぞれの人間の立ち位置の中で行う他はないし、そうである以上限定的なものにならざるを得ない。ただ、その立ち位置を決定するものは、それぞれの人間の、世界観であるし、思想であるべきだ。思想的課題は、緊急かつ現実的な問題に対しては無力だが、そのような問題に出会ったときの立ち位置を決定するためには欠いてはならないものである。それは、ビジネスというものに関して考える場合にも全く同じであると思う。」


要は、発言者自身の立ち位置を明確に議論もせず、ましてや日本と言う国の地政学上の立ち位置を明確に意識もせずに他の国の成功事例のみを引き合いに出して日本と言う国の将来について無責任な発言をする者たちへの警鐘なのではないか、ご両名がそこまで意識しているかどうかは別としても。

日本の中の自分の属する、所謂「世間」の中だけでの発言であれば、無責任に声高に「開国」を叫んでも許されるのかも知れないが、せめて「国民」や「諸外国」に対してその発言に責任を持つべき政治家や識者は、自分の立ち位置を明確にした上で、日本の地政学上の特殊な位置を意識した上での「開国」の戦略を披露していただきたいと思う。

「パラダイス鎖国」の著者である海部美知氏は直近のブログの中で次のように大国の中でのバランスと言うことについて述べている。

日本人すべてが、外向きになれ、とは言わない。逆に、みんな内向きになるべき、とも言わない。これだけ大きな国の中の数多くの人々が、一斉に同じ方向に向くこと、あるいは同じ方向を向くべきだ、と主張することがそもそもヘンなのだ。だから「日本はこうあるべき」という言い方は、私はしないように気をつけている。
過去の一時期、教育の中で、不足していた外向けの人数を確保するために「みんな外向きになろうね」というプロパガンダを張ったこともあるだろう。それが、「貿易摩擦」の時代を経て、トーンダウンして今に至っている。それに、もはや、国定教育の中で行われるプロパガンダだけで人は動かない。
外向きの人と、内向きの人が、ある比率で入り混じっているのが当たり前なのである。どちらに向くべきか、というのは、いまや教育でもプロパガンダでもなく、自分の志向や考え方で決まる。


全くその通りである。問題は、やはり日本人の一人一人が、「自分の志向や考え方」について、どこまで真剣に向き合えるのか、と言うことに尽きそうである。