内田氏のブログの記事は決してそのまま受け取ることはできないような気がしている。皮肉にも取れるし、本気の発言にも取れる。おそらく両方なのだろうと思う。内田氏はそのブログで、次のように記述している。
「日本と地政学的地位も地理学的位置も人口数も違う国」で採用したソリューションの成功と比較することにはほとんど意味がない。
にもかかわらず、相変わらず識者たちは「アメリカではこうである」「ドイツではこうである」「フィンランドではこうである」というような個別的事例の成功例を挙げて、それを模倣しないことに日本の問題の原因はあるという語り口を放棄しない。
また、内田氏が紹介している平川氏のブログには次のように記述されていて、共通の問題意識がうかがえる。
「現実的な政策や行動は、それを忌避するにせよ、連帯するにせよそれぞれの人間の立ち位置の中で行う他はないし、そうである以上限定的なものにならざるを得ない。ただ、その立ち位置を決定するものは、それぞれの人間の、世界観であるし、思想であるべきだ。思想的課題は、緊急かつ現実的な問題に対しては無力だが、そのような問題に出会ったときの立ち位置を決定するためには欠いてはならないものである。それは、ビジネスというものに関して考える場合にも全く同じであると思う。」
要は、発言者自身の立ち位置を明確に議論もせず、ましてや日本と言う国の地政学上の立ち位置を明確に意識もせずに他の国の成功事例のみを引き合いに出して日本と言う国の将来について無責任な発言をする者たちへの警鐘なのではないか、ご両名がそこまで意識しているかどうかは別としても。
日本の中の自分の属する、所謂「世間」の中だけでの発言であれば、無責任に声高に「開国」を叫んでも許されるのかも知れないが、せめて「国民」や「諸外国」に対してその発言に責任を持つべき政治家や識者は、自分の立ち位置を明確にした上で、日本の地政学上の特殊な位置を意識した上での「開国」の戦略を披露していただきたいと思う。
「パラダイス鎖国」の著者である海部美知氏は直近のブログの中で次のように大国の中でのバランスと言うことについて述べている。
日本人すべてが、外向きになれ、とは言わない。逆に、みんな内向きになるべき、とも言わない。これだけ大きな国の中の数多くの人々が、一斉に同じ方向に向くこと、あるいは同じ方向を向くべきだ、と主張することがそもそもヘンなのだ。だから「日本はこうあるべき」という言い方は、私はしないように気をつけている。
過去の一時期、教育の中で、不足していた外向けの人数を確保するために「みんな外向きになろうね」というプロパガンダを張ったこともあるだろう。それが、「貿易摩擦」の時代を経て、トーンダウンして今に至っている。それに、もはや、国定教育の中で行われるプロパガンダだけで人は動かない。
外向きの人と、内向きの人が、ある比率で入り混じっているのが当たり前なのである。どちらに向くべきか、というのは、いまや教育でもプロパガンダでもなく、自分の志向や考え方で決まる。
全くその通りである。問題は、やはり日本人の一人一人が、「自分の志向や考え方」について、どこまで真剣に向き合えるのか、と言うことに尽きそうである。
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